有難いことに私には長生きの祖父母がいます。そして去年までそんな祖父母とともに暮らしていました。状況が変わったのは去年の夏のことです。
ある朝、突然、祖父が起き上がれなくなり呂律も回らなくなってしまいました。救急車で運ばれた祖父の診断結果は「脳梗塞」。早くに病院へと運ばれたので一般的には軽度でしたが、90歳近い高齢の祖父には軽度でも肉体的、精神的なダメージは大きいものでした。
脳梗塞になる以前の祖父は、孫の私から見てもカッコイイ爺さんでした。90歳とは思えないほど背筋が伸びていて長身。頭の回転が速く、張りのある声でオレオレ詐欺も押し売りも一蹴してしまうほど。一体私のどこにこの祖父の血が流れているのだろう、と思ったほどです。
そんな祖父も脳梗塞を患い、たった1ヶ月ほどで体重が10kg以上落ちて痩せ細ってしまいました。めっきり口数も減り、目に生気も無くなっていきました。その余りの変化に私は次第にお見舞いに行くのが憂鬱になってしまい、積極的に足を運ぶことをしなくなりました。
両親からは「暇なんだからもっと顔を見せに行け」と薄情者扱いされましたが、やはり祖父が変わっていく様子を見るのは辛いものがありました。
もちろん、一番辛いのは病気をした祖父自身でしょう。でも当時の私は記憶にあるカッコイイ祖父像というのを壊したくなかったのです。二十歳をとうに過ぎているというのに情けない話です。薄情者と思われてもまぁ仕方がありません。
退院後、そんな祖父を家族全員で支えましたが、それ以上に支えたのは祖母でした。これまでは脚の悪い祖母を祖父が介護していた形でしたが、脳梗塞の後遺症で祖父には半身まひが残ってしまい、祖母よりも歩くことがままならなくなってしまいました。
もともと世話焼きタイプの祖母でしたが、この一件でこれまで以上に祖父のことを気にかけるようになりました。会話をしている2人を傍から見ていると、祖母が一方的に話しているようにしか見えませんでしたが、黙って聞いている祖父の顔はどことなく嬉しそうでした。
しかし、歩行器を使ってようやく歩ける2人を家族だけで介護することは現実的に難しく、先に祖父が介護施設へ入り、祖母が家から施設に通うという形をしばらくとっていました。そして、ついに今月から祖母も同じ介護施設へと入居することが決まりました。
私も先日、家族と共に入居の手伝いに行ってきました。久しぶりに会った祖父は以前にも増して小さく見えました。ピンと伸びていた背筋は丸まってしまい、表情も乏しく、声にも以前のような張りはありません。
そんな祖父と久しぶりに話をしていると、両親に連れられて祖母がゆっくりとこちらに歩いてきました。気づいていない様子の祖父に「婆ちゃんが来たよ。」と伝えると、ずっと下を向いていた祖父がすっと顔を上げました。そして祖母が近くまで来ると、どちらからともなくぎゅっと手を握り合い、お互いに頷き合っていました。
その後景はなんだか胸にくるものがありました。
これが長い人生を共にした夫婦の絆というものなのかもしれません。ニートの乏しい人生経験では分からない多くのものがこの二人の間にはあるのでしょう。60年という時間を一緒に過ごしてきたというのがどういう感覚なのか私には想像もつきません。
しかしそんな2人も、決して笑顔が絶えない夫婦というわけではありませんでした。私がまだ幼かった頃、祖父母もまだ70代でお互いが元気だった頃です。
ヒステリーもちの祖母と、家のことに無頓着な祖父は大声で怒鳴り合うこともしょっちゅうで、なぜか私がとばっちりを受けることもありました。その時は幼いながらに「この2人は仲が悪いけれど、仕方なく一緒にいるのだ」と本気で思ったものです。
だからでしょうか。こうやって2人が手を取り合う後景を見た時、私がこれまで見ていたものはほんの表面的な部分に過ぎなかったのだと気がつきました。
よくテレビなどで芸能人夫婦の仲の悪さをネタにして、外野のひな壇芸人が野次を飛ばすようなものがありますが、あれも本当のところは当人たち以外には分からないのでしょう。普段目にしているものは所詮上辺に過ぎず、本当のところは肉親でも分からないものなのかもしれません。
「目に見えるものだけが真実とは限らない」と言います。もし今も元気だったら、祖父母たちは未だに怒鳴り合っていたかもしれません。両親にしても、今はしょっちゅう文句を言い合っていても、30年後には祖父母のようになっているかもしれません。
もし祖母がいなかったら、祖父は今ほど回復しなかったかもしれません。ベッドで寝たきりのままになっていたかもしれません。この2人を見ていると、「支え合う」というのは肉体的、経済的なことだけではないのだと感じさせられます。
基本的に長生きはしたくないと思っている私ですが、こういう老後が迎えられるのだったら長生きしてもいいなぁ、と孫ながらに少しだけ思いましたね。
ただ今のところ老後に私の手を握ってくれそうな相手は介護ロボットぐらいしか思い浮かばないので、私が老後を迎えるまでにメーカーさん方にはぬくもりと優しさが感じられる素敵な介護ロボットを開発してくれることを心の底から願っています。
ある朝、突然、祖父が起き上がれなくなり呂律も回らなくなってしまいました。救急車で運ばれた祖父の診断結果は「脳梗塞」。早くに病院へと運ばれたので一般的には軽度でしたが、90歳近い高齢の祖父には軽度でも肉体的、精神的なダメージは大きいものでした。
脳梗塞になる以前の祖父は、孫の私から見てもカッコイイ爺さんでした。90歳とは思えないほど背筋が伸びていて長身。頭の回転が速く、張りのある声でオレオレ詐欺も押し売りも一蹴してしまうほど。一体私のどこにこの祖父の血が流れているのだろう、と思ったほどです。
そんな祖父も脳梗塞を患い、たった1ヶ月ほどで体重が10kg以上落ちて痩せ細ってしまいました。めっきり口数も減り、目に生気も無くなっていきました。その余りの変化に私は次第にお見舞いに行くのが憂鬱になってしまい、積極的に足を運ぶことをしなくなりました。
両親からは「暇なんだからもっと顔を見せに行け」と薄情者扱いされましたが、やはり祖父が変わっていく様子を見るのは辛いものがありました。
もちろん、一番辛いのは病気をした祖父自身でしょう。でも当時の私は記憶にあるカッコイイ祖父像というのを壊したくなかったのです。二十歳をとうに過ぎているというのに情けない話です。薄情者と思われてもまぁ仕方がありません。
退院後、そんな祖父を家族全員で支えましたが、それ以上に支えたのは祖母でした。これまでは脚の悪い祖母を祖父が介護していた形でしたが、脳梗塞の後遺症で祖父には半身まひが残ってしまい、祖母よりも歩くことがままならなくなってしまいました。
もともと世話焼きタイプの祖母でしたが、この一件でこれまで以上に祖父のことを気にかけるようになりました。会話をしている2人を傍から見ていると、祖母が一方的に話しているようにしか見えませんでしたが、黙って聞いている祖父の顔はどことなく嬉しそうでした。
しかし、歩行器を使ってようやく歩ける2人を家族だけで介護することは現実的に難しく、先に祖父が介護施設へ入り、祖母が家から施設に通うという形をしばらくとっていました。そして、ついに今月から祖母も同じ介護施設へと入居することが決まりました。
私も先日、家族と共に入居の手伝いに行ってきました。久しぶりに会った祖父は以前にも増して小さく見えました。ピンと伸びていた背筋は丸まってしまい、表情も乏しく、声にも以前のような張りはありません。
そんな祖父と久しぶりに話をしていると、両親に連れられて祖母がゆっくりとこちらに歩いてきました。気づいていない様子の祖父に「婆ちゃんが来たよ。」と伝えると、ずっと下を向いていた祖父がすっと顔を上げました。そして祖母が近くまで来ると、どちらからともなくぎゅっと手を握り合い、お互いに頷き合っていました。
その後景はなんだか胸にくるものがありました。
これが長い人生を共にした夫婦の絆というものなのかもしれません。ニートの乏しい人生経験では分からない多くのものがこの二人の間にはあるのでしょう。60年という時間を一緒に過ごしてきたというのがどういう感覚なのか私には想像もつきません。
しかしそんな2人も、決して笑顔が絶えない夫婦というわけではありませんでした。私がまだ幼かった頃、祖父母もまだ70代でお互いが元気だった頃です。
ヒステリーもちの祖母と、家のことに無頓着な祖父は大声で怒鳴り合うこともしょっちゅうで、なぜか私がとばっちりを受けることもありました。その時は幼いながらに「この2人は仲が悪いけれど、仕方なく一緒にいるのだ」と本気で思ったものです。
だからでしょうか。こうやって2人が手を取り合う後景を見た時、私がこれまで見ていたものはほんの表面的な部分に過ぎなかったのだと気がつきました。
よくテレビなどで芸能人夫婦の仲の悪さをネタにして、外野のひな壇芸人が野次を飛ばすようなものがありますが、あれも本当のところは当人たち以外には分からないのでしょう。普段目にしているものは所詮上辺に過ぎず、本当のところは肉親でも分からないものなのかもしれません。
「目に見えるものだけが真実とは限らない」と言います。もし今も元気だったら、祖父母たちは未だに怒鳴り合っていたかもしれません。両親にしても、今はしょっちゅう文句を言い合っていても、30年後には祖父母のようになっているかもしれません。
もし祖母がいなかったら、祖父は今ほど回復しなかったかもしれません。ベッドで寝たきりのままになっていたかもしれません。この2人を見ていると、「支え合う」というのは肉体的、経済的なことだけではないのだと感じさせられます。
基本的に長生きはしたくないと思っている私ですが、こういう老後が迎えられるのだったら長生きしてもいいなぁ、と孫ながらに少しだけ思いましたね。
ただ今のところ老後に私の手を握ってくれそうな相手は介護ロボットぐらいしか思い浮かばないので、私が老後を迎えるまでにメーカーさん方にはぬくもりと優しさが感じられる素敵な介護ロボットを開発してくれることを心の底から願っています。